現実はげに厳しい

ふと新聞などで見かけて、とても興味を持った本。
なげーーーーことかかって読み終えたけど、文庫本としては薄い本です。

高学歴ワーキングプア  「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)

高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)

まぁ自身、高学歴っていうよりは「長学歴」の方がしっくりくるとは思っていますが。長く物理の勉強がしたかっただけっていう。
それに、昔から理科っ子だったこともあり、「博士」というものに、何だか輝くものを感じていたこともある。
ということで、過去に自分自身に降りかかったことふまえて、少し書いてみよう。


この本を読んで思ったのは・・・やっぱり、自身も餌食になっていたんだなということ。大学院重点化計画の。
地方国立大学ってことで、やっぱり予算獲得が厳しかったんだろうな。で、われわれを生贄に予算25%増獲得、と。
実際、ストレートに学士から修士過程に上がる際、落ちる人はほとんどいなかった。が、当時それは「理系なら今時当たり前」という雰囲気があり、なんとなく個人的にも納得していた。そこに不景気も相まったら、「就職するのはもう少し延ばした方が得策かも」と考えるのは不思議ではない。
自分自身の場合、修士を修了する頃もまだ景気は回復せず、どうしようかと迷った挙句・・・当時、ついた先生に教えてもらっていた素粒子物理学の面白さと、博士の称号の魅力に魅かれ、結局博士課程(正しくは博士後期課程)に進学するに至った。
就職に関してみると結局は、博士後期過程が修了する三年後も景気の回復は微妙。そしてその翌年、新聞の一面に「技術者系新規採用、増加させる企業が多数」との見出しがのり、ガックリきた訳で。


勿論、ポスドクとして研究を続ける選択肢がなかった訳ではないが、そうはしなかった。
それは、ポスドクという不安定な身分を続けることで親に不安・負担をかける事はもう嫌であったし(博士後期課程ですら心苦しかった)、自身の能力を見限ったという事もあった。
そうまでして、研究にしがみつく価値はあるのかと、冷静に考えた結果だ。
現在、当時の育英会から借りた奨学金は完済し、その事だけでいうならば、なりふり構わないような職に就いたことは間違っていなかったと思っている。
しかし・・・博士としての自分が有効活用されているか・見合った恩賞を受けているかと問われれば、全く否、である。


この本では、多大な税金をかけて育てた博士を有効活用せよ・そのような場を設ける努力をせよと説いているが、これは全くその通りだと思われる。せっかく投じた資金は、何らかの形で回収されなければ意味がない。それを、フリーターという何かを生み出す可能性の極めて低い状態で放置してしまうのは、全く非計画的で無駄という他ない。
ただ、この本では「博士」というものをやや持ち上げすぎた書き方をしている。自身も含め、入ろうと思えば入れるような博士課程に在籍し、ゆるくなってきた審査を経て得た博士の称号に、持ち上げすぎるほどの価値があるのかは分からない。


また、この本には論文を提出しようとしたが、先生がご病気になり、提出ができなかった方のエピソードが書かれている。
実は、私自身も似通った経験をした。
学部4年生から教えて頂いていた指導教官が、うつ病になってしまわれたのだ。しかもそのタイミングは博士後期課程の一年目夏休み前後。後期課程に入って、さてこれからだという出鼻からくじかれた形である。
元々、この指導教官は非常に変りモノなところがあった。例えば、講義はまず間違いなく30分遅れてやってくる。ただし、講義の内容そのものは、物理を理解している先生らしい、非常に分かりやすく、尊敬できる内容のものであったことは付け加えておく。
ところが上記、自分が博士後期課程の一年目頃。遅刻の時間がだんだんと延びているという噂を聞いた。45分。1時間。
そして。秋ごろには、プッツリ講義に現れなくなったらしい。(博士後期課程は講義がなく、伝え聞くしかない)


研究室での生活はというと。
学部4年生で研究室に入ってから、勉強のためのゼミは開かれていた。
これは毎週必ずきちんと開かれており、博士後期過程に入ることを決めた修士2年目でも、勿論忘れずになされていた。
つまり、多少遅刻することはあっても、ゼミ自体は必ず開いてくれるし、非常に分かりやすく面白い内容の説明をしてくれており、その意味では信頼していた。
だからこそ、博士後期過程を望んだのだ。
ところが、前述秋ごろ、講義に現れなくなったくらいから、ゼミにも来てくださらなくなった。地下鉄に乗って教えに来る元気がなくなっていたようだった。
それでも根はまじめらしく、ゼミに来られなくなる直前には、タクシーに乗って来て下さっていたようだ。
えてして、うつ病とはこういう症状にもなるのだろう。


では、その際大学は何をしてくれたか。
大学としては、何も問題解決をしてくれることはなかった。
代わりの指導教官を紹介してくれるでもなく。講義も、すぐに代わりの先生を立てた訳でもなく。
先生はうつ病として扱われていたため、勿論ずっと解雇されることはなかった。長期休業中、である。恐らく、給与も出ていただろう。
実はしびれを切らして、数ヵ月後に学長になる予定だったある先生に、メールで直訴もした。
しかし。ある知り合いの物理系の先生(恐らく、職員組合みたいなものの代表だったのだろう)が、立場の板ばさみになったような感じでやって来ただけである。会話としては、現状をなんとかする方法はないのかと問うと
「じゃあ、どうして欲しいの?どうすればいいの?」
と困った顔で言うのみであり、直接の問題解決にはならなかった。
正直、半年分の学費と時間を返せと言いたい。なんでそんな無駄な時間を過ごした学費・それを支払った奨学金を、今現在汗水たらして、働いて返しているのかと思うと、怒りがこみ上げるのが普通である。


最終的には、そのとき一番自身の立場と自身の学んできた分野を分かっていてくれた、別の指導教官の下についた。
そして、実質1年半程の研究で論文を書き、ほとんどその新しい指導教官の力で学位を取らせていただいた。
その意味では、博士後期2年からの指導教官には、どれだけお礼を述べても述べ足りない。本当の恩人である。
結局。大学は何もしてくれなかった訳だ。
就職にしたって、推薦をもらえた訳でもない。完全な自己努力で今の会社に就いた。ひどいものだ。


ちなみに、始めの指導教官からの連絡は、その後一切ない。
私が学位をとった翌年度秋ぐらいから徐々に大学に復帰し始め、今年は講義も持っている、と噂を聞くのみである。


では、博士後期過程に行って、悪いことばかりかといえば、勿論そうではない。
色々な分野へつっこんで勉強できたのは幸せだったし、大学の先生のつてで3年間、とある専門学校での講師も経験することができたのも面白かった。


さて。地元企業に就職した現在、コレでいいのかと問われると、勿論全く満足はしていない。
正直、どうしたもんか、脱出方法はないかと画策するばかりである。
ただ、博士の就職に関して私が思うに。
欲張っちゃいけない。
特に、民間に就職するしかなくなった場合、中途半端なプライドは捨てるべきだ。大中小企業わがまま言ってちゃいけない。
博士として研究してきた内容が、そのまま役に立つケースなんて稀だ。同時に、企業で働くに当たって、自分がどれだけ役に立てる存在なのか、逆に立たない存在なのかを知らなきゃいけない。
もし、それほど大きくない大学で博士を取った場合、野良博士になりたくないのなら、あまり選択肢はない。それが現実。



※追記(08/02/17)
ちなみに、同じ被害にあった人として、同研究室に所属した後輩が一人いた。
彼は、先生がうつ病で大学へ出て来れなくなった後、先生へお見舞い電話の一本を入れるわけでもなく、他の研究室へ移りたいとこぼしていた。その気遣いのない非道義的な態度には少し腹が立ったものだった。
最終的に、自分とは異なる指導教官・研究室に移動することを決めた訳だが、そちらは標準的な後期課程3年間で修了することはできなかったようで、4年目に突入したと噂で聞いた。