たまに書く私的駄文

たまには駄文でも書きますか。
今回書こうと思ったネタは、実はそれこそ2,3年以上前からネタとしては持っていた。
でも書かなかった、というより書けなかったのは・・・他にネタがあったから、及び民間は忙しくて書く意欲が沸かなかったから、及び元ネタの筆者を思い出せなかったから。


で、今回その元ネタの筆者が思い出せたのかというと、別にそういう訳ではないのだけれど。
多分、筒井先生のエッセイだったと思うんだけどなぁ。


どうでもいい部類の話ですが。
人間、道を歩いているとき、どうしても色んな知人・他人とすれ違う訳です。
で、すれ違うからにはどうしても相手が目線に入る訳で、その際の目線の動かし方のパターンが色々ある訳ですね。
(元ネタのパターンがうまく思い出せないので、独自パターンですが)

軽く目礼する

知人とか、単なる顔見知りとかの場合、軽く挨拶程度に交わすパターンですね。
お互いあぁどうも、と無難に通り過ぎることができます。

じっと見る

うーん。個人的にはあまりないですが。
・よっぽど変わった格好をしているとか、気になる特徴が目に入ったとかの場合
・ひょっとするとあまり会わない友人・同級生・同期の類だったかもでも違うかも・・・の場合
辺りにしえますかね。
他人だった場合、された相手側としては、よっぽど自意識過剰でもない限り、どこか自分の身におかしな所があるか不安になりますね。
意味もなくジロジロ見られるのは不快だと想像すると、個人的にはあまりしないですかね。

視線を落とす

向こうが強面だったり、苦手な人だったり、見てはいけないものを見てしまったりした場合、しえますね。
少なくとも、自分が優位な感じはしないですね。
・・・でもされた側は、相手が誰だか分からないし、表情がはっきり分からないぶん、からみもしないですよね、きっと。
失礼だとも・・・感じないですかね?目線を感じない分、された側にストレスは与えないのかもしれません。

まっすぐ進行方向を見続ける

これをする場合・・・。
元ネタには確か、「あんたになんか興味ないよ」という意図を表す、のようなことが書いてあったはずです。
しかし自分の場合、単に考え事をしていた場合や疲れてさっさと帰りたいときなんか、要は「ボーっとしているとき」に結構します。
された側が受ける印象としては、知り合いだった場合は「え、無視?」と思ってしまうかもしれませんし、他人だった場合も冷たい感じはしますね。
でもねぇ・・・ずっと視線を落とし続けて歩くのもなんか根暗な感じがするし。
表情次第で印象が変わる可能性があると思っていますが。

首から頭ごとぷいっと視線をよける

そしてコレ。
んー・・・。実は個人的には、これが一番どういう心境なのか分からない。
相手に与える印象は、最悪の部類だと思うのですが。


今から10年くらい前、それこそこの視線ネタの元ネタを読んだくらいの頃ですね。この頃は、このパターンはほとんどなかったんじゃないかと思います。
というか、元ネタにもこのパターンはなかったはず。
でもいつからか、赤の他人にこのパターンを行う人が非常に増えた気がします。


このパターンって、首をそむける、という意思が感じられる分、非常に心象が悪いんですよね。
限りなくはっきりとは嫌悪を伝えられない分、疑心暗鬼を引き起こしかねない。
された側は、ある意味負けた感覚を覚える。じゃあ次にどうするかというと、負けないために自分が先にこれをしてしまうと思うんです。特に普段、心理的・精神的に疲れている人程。
そんなことあらへんやろ〜と思う方は、単に健康な心の持ち主だと思います。うまく発散できているのでしょう。


ここからは想像が豊か過ぎるかもしれませんが。
景気が悪くなり、人間社会的集団として、心理的になんとなく不安を抱える人の割合が増えてくると、上記「相互作用」がよく起こる方向に傾く*1のではないでしょうか。結果として、このパターンの不快な行動をしてしまう人が増え、よく見かけるようになってしまったのでは・・・?
もしくは、社会的不安があまり赤の他人とは関わりあいたくない心理を膨らませているのかもしれません。


いつぞやも書いたかもしれませんが、景気が悪くなってくると、やはり疑心暗鬼が恐ろしい。
生活に困窮して犯罪を犯す、というパターンが増加しているように思えますが、悪意がない分「元はいい人」が犯すため、余計に人が信じられなくなってくる・・・というのが究極には怖いですね。
少なくとも日本の場合、ある程度「悪傾向に対する負帰還」がかかっているようです。


さて、話が膨らみすぎました。
視線に関して結論を出すならば、心に余裕のある人が努めて、好印象なすれ違いを啓発できるようになれば良いなということです。


・・・そうそう。
もしかして個人的な思いかもしれませんが。
何十人単位で人間がひしめく職場の場合も、視線の交わし方は若干悩ましいですね。
IT企業の職場映像なんかでよく見るような、セパレートで若干プライベートが保たれている場合はまだいいです。ほとんどセパレートがなく、ふっと見回しただけで何十人の姿が見える、また逆に視線にさらされるような職場の場合。
今回のネタとはまた違った、視線のやり場には悩まされることはあると思うんですが、どうなんでしょう。親しい人ならともかく、ちょっと席が離れてて、若干疎遠な人とか特に。
視線って、光も音もないけど、一旦気づくと結構なストレス(いい意味でも悪い意味でも)が発生してるもんですよね。

*1:化学反応的な意味合いで