こういうコンテンツはアクセス少ないって知ってますよ!

http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/special/20080331/1008688/?ml
正直、フィルタリングに否定的な論調には同意しかねるところがあります。
頭ごなしに言ってるんではなくて、考えあって同意しかねる、と。


何か技術があった場合、その技術で何ができるかということと、それを使って何をするか・どう運用するかということは両立して考えられなければならない。その技術が危険性を伴うならなおさら。
携帯+ネットという自由空間は、技術の誕生と利便性の認知速度に対して、全く運用法、危険な使用法に対する抑制の整備が追いついていなかった。本当は、これ程大きい規模のインフラは、企業に対して法的にきっちり運用を定めるべきだと思うんだけれども、いかんせん発祥が発祥だから。
その危険性とは、現実世界なら五感で感じて避けうるはずのものが、手元の決定ボタン一つで実は殺人スイッチを押してしまいましたということになりかねない程、身近なものの癖に狡猾に隠れて気づきにくい。*1
これは勿論大雑把な例えで、具体的には決定ボタンを押したこと自体は何らかのサイト・扉を開いただけで、それ以後関わるだろう、顔の見えないコミュニティに入った際に遭遇しうる各種トラブルも包含している。


じゃあどうしろ、っていうのは・・・とりあえず分別のつく割合の増える、成人以上で区切るのが一番いいと思う。
危険な使い方・危険でない使い方の判別がつく割合+自己制御のきく割合は、ワカモノより成人の方が多かろうという単純なこと。少なくとも自分で責任は取れと。*2


それかそうでなくても、遠まわしな表現になるけど、運用的に「ネットワークのセキュリティ」みたいな開放の仕方していけばいいんじゃないの?
DENY:ALL
から
ALLOW:192.168.0.1**
追加っていう風にフィルタを外していけば。


ちなみに、携帯の電話機能はそこまでせんでもいいと思うけどね。
まだ肉声っていう人間味・機微が伝わりますし。
ネットの文字情報っていうのは、読み取る「能力」が要る。読んだ文字に勝手に抑揚がつく訳じゃないし、誤解を生む場合が多い。でも、日常のコミュニケーションで、そこまでイチイチ誤解を生まないような書き方を深く考えて文字情報を発する、なんてことしないでしょう。面白い会話中に、んなギクシャクしたことするかいな。
だからこそ、感受性豊かな頃に変な誤解で傷つけ合っているよりも、少なくとも肉声以上のコミュニケーションを通して、互いに人間っていうものを知れ、世の中色々な人間がいるということを知れ、正しい日本語を知れ、それから文字情報だけの便利なツールを使うようになれと、そういうことですよ。
ホント、教育上はよくない素材ですな。

*1:ユビキタス、いつでもどこでもどなたでも、っていうのは、使い方を変えればつまりそういうこと。

*2:こういうこと書くと、オレは分別つくし自己制御もきく、とかいうことを言い出す人がいそうだけど、世の中アナタのような人ばかりじゃないからね?自分以外の誰かが、何かをどこまでを分かっているか・考えているかなんてことは、推測の域を出ることは決してない。それがどんな親友であろうと、親兄弟であろうと。「しまった!知らなかったのか」じゃ済まない。それが危険っていうこと。