椅子かけ論

面白くもない完全なぼやきです。
でも結構頭きたので書いておく。


11/7名古屋駅23:00発・多治見行き。
三泊四日の出張日程、丸二日は新宿でセミナー、最後の一日は大荷物持って東京ビッグサイトで展示会めぐりの帰り。*1
旅行用カート+紙袋2つ+ビジネスバッグ1つを持ち、帰路につく。


勝川に着いたので降りようと扉のほうを見ると、顔真っ赤の酔っ払いおやじがこちらにガンを飛ばしている。
無視して荷物を持ち、そのおやじの脇を通り過ぎると「バカヤロウ」と言葉を吐かれる。
あぁあ?


恐らく、席を譲らなかった事に腹を立ててるんだろうが。
確かに、俺は座席で平然と本を読んでいた。だらしなく座席にもたれながら。
だが。
若者だって時と場合によっちゃ疲れてんだよ。
本を読んでたのは眠りに落ちて乗りすごさねぇためだよ。
だらしなくもたれてたのは、疲労で体全体が重く、後頭部がぼんやりしてたからだよ。血圧高ぇんだよ。
見た目だけで健常な若者と判断したってんなら、
ろくでもない仕事して毎日のように飲んだくれてるだけに見える酔っ払いおやじに譲る席はねぇ。


いかにも席を譲れというように横に立ってたおばはんもおったが、ただでさえ疲れてるのに、
いちいち通り過ぎるおばはんに疲れてる事情を説明する義理もねぇ。

言っておくが、俺は疲れていないとき、席を譲らない。

なぜなら、座らないからだ。空座席率30%以下のときはまず座らない。
いちいち「どうぞ^^」とわざとらしく席を譲るくらいなら、健常者は始めから立っていろ。これが俺の信念だ。
これは個人的な勝手な美徳であり、ランダムで出会う他人に感謝しろとは勿論全く思わない。
しかし、このランダムに出会う他人、というのが曲者だ。ランダムに出会う他人であるがゆえ、評価はほぼ蓄積しない。例え、わざとらしく譲った場合でも。
逆にいうなら、席を譲らなかったとしても、それは心の問題であり、不作為の罪にはならない。だから、席を譲らない若者健常者というのが多くてもおかしくはない。
だから余計に、普段信念を実行している自分は、ランダムな他人に、たまたま疲れているとき席を譲らなかった事にバカヤロウと言われると腹が立つ。普段、個人的な美徳を実行しているのにというやりきれなさと、普段から席を譲らない若者健常者と同一視された恨めしさからだ。

高齢者、体の悪い方、妊娠中の方には席をおゆずりください。

別に問題はない。優先席ではそうすべきだ。普通の席でもできるだけそうすべきだ。
ただ、この言には問題がある。
「高齢者・妊娠中の方」は大抵目で見れば判断できるが、「体の調子の悪い方」の即判断は難しい事があるのだ。
結果的に、体の調子が悪い若者は、相応高齢に見えかつ楽をしたいだけの健常者より不利なのだ。包帯でもしてるか口から血でも吐いていない限り。
特に後者の多くは、席を譲らない若者に問答無用で「若者は立ちなさいよ」と何らかの手段で責めこそすれ、席を譲られても大した感謝はしない。
全く、こういう輩はどうしようもない。その癖メディアや何かに投書して、譲らなかったという事実の文句だけはいかにも正当派ですとばかりに言う。自分が楽をできなかったうさ晴らしに。
結局、相手の事情を察する気がないのだ。ランダムな他人の事情を気遣ったって「あたしにはカンケーない」といった所なのだろう。



まだ書きたいことはあるが、意識が飛んだので寝る。

*1:ちなみに、セミナー後で疲れている中無理して展示会を歩き回り、足が棒のようになった状態で、カート以外の荷物を持ったまま東京本社までの道を間違えながら30分くらい案内された。